Milestone

合奏団の歩み

1964.5.24

「マンドリン音楽を楽しむ会」発足

名古屋大学ギターマンドリンクラブの卒業生の数人が学生時代の思い出がなつかしく、もう一度演奏活動をやってみたいという気持ちからあつまり発足。

1964.10.4

「チルコロ・マンドリニスティコ・ナゴヤ」に命名

(イタリア語で名古屋マンドリニスト・サークルという意味)
中野二郎先生の命名により現在の団名となる。

1966.3.13

第1回定期演奏会

中区役所ホール

■当時を語る 牧 洋伸(第1・2回定演コンサートマスター)
創立当初は、学生時代の延長の気持ちで、マンドリン合奏を続けたい 一念だったと思います。練習場には困っており、確か一年位過ぎてから、広小路の短歌会館を借りられるようになり、安定してきました。(第30回記念定期演奏会パンフレットより)
1969.5.20

第5回定期演奏会

中電ホール

■当時を語る 帰山栄治(第4回~9回定演で常任指揮者、その後技術顧問)
ちょうどこのころ、マンドリン界にロシアの編曲ものが登場しつつあった。自分自身が編曲したものを含め、指揮をするということでチルコロの指揮を引き受けることになった。幸い人数も一時60数名まで増えた事を記憶している。年2回定期演奏会を行ったが負担だった。レベルは今に比べて低かったと思う。チルコロは音楽レベル(演奏レベルではない)は高い団体だと思う。もっと幅広い音楽を演奏すればよいと思うのだが、学生時代の延長のように思う。自分たちだけで楽しむのか、音楽的使命を感じてやっているのか、合奏団の性格をはっきり見極めて次へ進んでほしい。(第30回記念定期演奏会パンフレットより)
1972.5.7

第10回定期演奏会

愛知文化講堂

■当時を語る 鶴原明夫(第10回定演から常任指揮者を務める)
帰山氏が作曲活動に専念したいということで、帰山氏からチルコロ指揮者に指名された。そして練習場である短歌会館に初めて行ったその日から、指揮者に就任した。家族的でとけ込みやすい雰囲気だった。団員は40人余り。いつも練習に来ている人が30人ほどだった。団の組織は今のようにしっかりしていなかったし、ぐいぐい引っ張っていってくれる人もいなかったが、一人ひとりが地味に活動して、みんなでチルコロを作っているという感じだった。練習量は学生とは比較にならないが、音楽的には優れた人が多くふりやすかった。
1974.11.10

第15回定期演奏会

愛知文化講堂

■当時を語る 深津 弘(長年ギターパートで活躍。第16回定演ではコンマス)
1970~1975年にかけては、技術顧問の帰山氏、指揮者の鶴原氏、事務局の矢島氏らの努力により、コンサートで毎年のように創作委嘱作品・編曲初演曲を演奏するなど、非常に活発な活動を行いました。また1972~1975年にかけては、中部地区で毎年マンドリンフェスティバルが開かれ、数多くの合奏団が参加しました。40~50人のメンバーがおり、全て20代という若さでチルコロ自体が青春のかたまりのようなものでした。記念すべき思い出は1975年の室内フェスティバルにおいて、ムニエルの「四重奏曲ハ長調」を演奏したことです。中野二郎先生から、「熱演だった」とほめられ非常に感激しました。演奏した4人のうち私を含め2人は今もチルコロに在籍し、平均年齢を上げています。(第30回記念定期演奏会パンフレットより)
1982.8

訪中公演(南京市延安劇場)

■当時を語る 木村功一氏(初の団長職に就任、現名誉団長)
事務局長をずっと矢島さんがやってきたが、それを引き継いで仕事をしていた。今の「チルコロ通信」にあたる「チルコロ告板」を定期的ではないが発行していた。中国公演の企画がもちあがり、外部との折衝の機会が増えたので、チルコロの代表者として団長職を置くことにした。(第30回記念定期演奏会パンフレットより)
1983.10.28

第25回定期演奏会

中電ホール

■当時を語る 山口行夫(当時コンマス)
これまで築かれていたチルコロの中に新しい風がはいればもっと活発になると思い、仲間に声をかけました。技術面でもう一ランク上を目標にしましたが、皆の努力がうまくかみ合わず、2倍にも、3倍にもなれるチルコロの力が半減してしまう......と感じたこともありました。(アマチュアの団体から一歩抜け出る為には今までより一層努力と自覚が必要だ)と私自身を振り返って反省し、強く思ったりします。(第30回記念定期演奏会パンフレットより)
1984.8

訪ソ公演

(団長 帰山栄治氏)ハバロフスク・イルクーツクで公演。他の団体などからも参加者を募り、奏者だけでも約90名。どちらの演奏会場でも満員の聴衆が熱心に耳を傾けてくれた。アムール河遊覧船上での青年交流会、ピオネールキャンプでの子どもたちとのふれ合いも意義深いものだった。

1987.7.5

帰山氏の作品発表会に出演

尺八・三味線と共に「生きる」を演奏

■当時を語る 吉原三雄(当時マンドラリーダー)
「生きる」は私にとって、7度目の初演体験となりました。音楽にとって新作発表は永遠のテーマですよね.....期待にこたえられる合奏団になりたいですよね。チルコロがチルコロであり続けるために.....。(第30回記念定期演奏会パンフレットより)
1988.8

訪ソ公演

(団長 帰山栄治氏)モスクワ、レニングラードで公演。演奏者60人。
モスクワ公演…ブゥダーシキン氏の未亡人と談話を交えた一時間のテレビ番組に出演。
レニングラード公演…雨のためダンスホールで演奏。客席数160に対し聴衆500名の超満員。最後に「ブラボー」と声をかけてくれた時は感激した。

1988.12.10

第30回記念定期演奏会

名古屋市芸術創造センター

1992.8

訪中公演

8月11日に南京市の人民劇場で南京民楽団と共演。8月14日に北京市の民族文化宮ホールで中央民族楽団と共演。

1993.11.21

第35回記念定期演奏会 / 名古屋市芸術祭'93

名古屋市芸術創造センター
南京民楽団を招待し、「南京の響き・名古屋の響き」と題し合同演奏。帰山氏に中国の民族楽器とマンドリンの合奏曲「雲霧林の声」を委嘱し初演。

1996.8

訪豪公演

マンドリンオーケストラ・アカシアと合同で「名古屋マンドリンオーケストラ」を結成し国際親善公演(参加人数100名)。客演指揮に帰山栄治氏、ソリストに榊原喜三氏。親善のための合奏曲「Pacific'96」を委嘱。キャッスルメインにてチャリティーコンサート、メルボルンにてジョイントコンサートを実施。

1998.12.5

第40回記念定期演奏会

しらかわホール

2008.8.31

第50回記念定期演奏会

名古屋市芸術創造センター

2018.9.9

第60回記念定期演奏会

名古屋市芸術創造センター

2018.10.7

フェッロマンドリーノ北九州 ゲスト出演

フェッロマンドリーノ北九州 第76回定期演奏会にゲスト出演。

2019.9.15

創立55周年記念第61回定期演奏会

名古屋市芸術創造センター
ゲスト:フェッロマンドリーノ北九州

2024.8.4

創立60周年記念第65回定期演奏会

ウィルホール(ウィルあいち4階)